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木山往還5

2011/01/12
なぞのままだった「協和発酵」の謎が半分だけ解決した。

母に県立図書館と市立体育館の建っているところがかつては何だったのか尋ねてみても、何だったかねぇ、と答えが返ってこない。昔は協和発酵の工場じゃなかったとね?と畳み掛けても、そういわれればそうだったような気もする、とこれまたはっきりしない返事。そこに父が割って入ってきて、あそこはほう、でんぷん工場だったたい、と。うちの父母はあてにならなかった。

今の県立図書館ができたのは、確か僕が中学生だったときだから、60代以上の人に聞けば分かりそうなのだが、困ったときのインターネット、Googleの検索ボックスに、「県立図書館 協和発酵」から始めて、検索語に「熊本」を足したり、ダブルクォーテーションマークをつけたり、何度か検索をかけていたら、あっさりと情報にヒットした。おかしいな、何年か前にも1回調べたことがあったのだが。

株式会社井口鋳造所のホームページの地域の話というページに、「肥後酒精はその後幾変転、今日協和発酵の工場としてイーストや薬品を製造している。桑野豊助「くまもと商家物語」S52.12.15城野印刷所p194を参照。尚、現在は同地に熊本市立総合体育館と熊本県立図書館が立地している。」と紹介されていた(http://www.inokuchichuzosyo.co.jp/chiiki.htm)。なお、この「くまもと商家物語」、当の熊本県立図書館に3冊所蔵されているようだ。熊本市立図書館にも所蔵されている。そのうち調べに行くことにしよう。これで「協和発酵」が現在の市立総合体育館と県立図書館のところにあったことははっきりした。

しかし、木山往還が「協和発酵」あたりから先、どこを走っていたかは依然謎である。
sunatori.jpg
この地図からは、木山往還は砂取小学校の構内に突入している。ここから先は旧神水村に入る。そこで、例のごとく肥後国郡村図の神水村の地図からルートを復元しようとしたが、どうやら神水村の地図がいい加減な地図のようだ。隣の今村の地図と神水村の地図を張り合わせることができないのだ。ちなみに、両村の地図の縮尺は同じである。無理矢理大まかな位置関係だけでもあわせてみようとしたのがこれだ。これではどういうルートをたどっていたのか,現代の地図と重ね合わせようがないかと思えた。

imamura+kuwamizu_for_blog.jpg

他方,「熊本の街道と峠-熊本の風土とこころ第二集-⑳」(岩本政教編著、熊本日日新聞情報文化センター)p64の「ここから水前寺川を渡り、協和発酵の西側をまわって電車通りを横断すると八丁馬場へ入る。」との記載である。県立図書館の西側を回るとなると,川沿に二南下して,東に折れるルートか。そうなると明らかに肥後国郡村図の朱書きのルートとは異なっている。どっちが正しいのか。現在の地図を眺める限り、校庭に突入する肥後国郡村図のルートよりはこちらの方が整合的である。

結局,木山往還の県立図書館横の川を渡った後のルートがどこを通っていたかについてはこれというものがなかった。しばらく調査は暗証に乗り上げていたが,先日,これはっ!というものを見つけた。この昭和7年発行の熊本市の地図である。これ以前の時代に発行された地図では,この旧神水村あたりは載ってなかったり,載ってても大雑把に道が描かれているだけで,場所の特定ができなかったのが,昭和に入るとランドマークになりそうなものがぼちぼち現れてくる。
S9水前寺近辺for_blog


この地図を見ると,現在の電車通りは西から水前寺の郵便局のところまで伸びてきていて,途中途切れて,砂取小学校の校門のところから神水橋の方へ東へ延びている。水前寺の郵便局から砂取小学校の校門を結んで電車通りが開通したようだ。

注目したのは,砂取小学校と商業高校の校庭を横切る道があること。この道の位置関係が,神水村の地図に乗っている木山往還の道筋の形に似ているではないか。しかも,今村と健軍村(このころは神水村は合併して健軍村になっている。)の境界の形が郡村図そっくりである。

電車通りを赤,健軍村との境界を青,木山往還のルートを緑で線を引いてみた。私は,この地図の存在から,旧来の木山往還のルートは,この緑のルートであったと考えたい。
S9水前寺近辺for_blog_routed



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13:48 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0)
コメント
No title
こんにちは。
肥後酒精から協和醗酵までの歴史、興味深く拝読いたしました。大変面白かったです。
すでにご存知のことと思いますが、簡単に整理しておきます。
肥後酒精株式会社、明治40年11月創業、資本金50万円、社長中島為之、醤油・混盛酒(酒精)・焼酎、職工男43人、女19人。大正14年4月、日本酒類醸造株式会社と合併し、「大日本酒類醸造株式会社熊本工場」となる。

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