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木山往還4

2010/11/26
「熊本の街道と峠-熊本の風土とこころ第二集-⑳」(岩本政教編著、熊本日日新聞情報文化センター)p64からさらに引用。「旧往還は小学校の校庭を東に突切り、豊肥線の踏切を渡って松楠塾の前に出て堀之内団地をぬけ、国府七曲りを経て、砂取四つ角近くに出る。ここから水前寺川を渡り、協和発酵の西側をまわって電車通りを横断すると八丁馬場へ入る。」とある。「国府七曲り」がどこのことを指しているのか皆目分からない。「砂取四つ角」もどこのことかわからない。出水ふれあい通りと八王寺通りの交差点のことだろうか。水前寺川は県立図書館横を流れる江津湖に注ぐあの川のことであろう。「協和発酵」がまたどこのことかわからない。

そこで、再び、新熊本市史別巻第1巻地図絵巻下に収録されていた、肥後国郡村図から国府村の地図にお出まし願う。
kokubu.jpg
画像を何度も回転させたたり、拡大縮小を行なって試していたところ、どうやらうまくはまったようだ。白山小学校の校庭を東に突っ切り、豊肥線の踏切を渡っているし、既存の道路ともほぼ一致した。「堀之内団地をぬけ」とあるが、堀之内団地の南側を抜けている。これも堀之内団地を抜けているうちにいれていいだろう。

では、さらにその先の今村の部分も重ねあわせてみよう。そういえば、水前寺公園の電停の交差点の表示は、かつては「水前寺今」と書いてあったような気がする。この「今」は昔の今村から来ていたのだ。
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うまく重ね合わされているのかどうか微妙だが、川筋が概ね一致していることと、川を渡る橋の向きが一致していること、国府村と今村の堺が道路に一致していること、画図村方面への道路が一致していることなどから、概ねうまく重ねあわせられていると思われる。

これをみると、出水ふれあい通りと八王寺通りの交差点から県立図書館方面へ行く道路が木山往還だったようだ。

まとめると、こうなる。


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しかし、「協和発酵」の「西側」というのはどこのことだろうか。協和発酵は水前寺川を渡った先にあるのだから、かつて存在したとすれば、県立図書館か、市立図書館あたりだろうと思われる。母に尋ねたところ、そういえば昔県立図書館のところは協和発酵の工場だったような気がすると言っていたが、定かではない。しかも、今村の地図によれば、往還は協和発酵工場跡らしきところの「西側」を通っていない。謎はのこる。

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木山往還3

2010/11/25
「熊本の街道と峠-熊本の風土とこころ第二集-⑳」(岩本政教編著、熊本日日新聞情報文化センター)p64「木山往還」によると、木山往還は「迎町から南の琴平・南熊本と北の弥生・本庄の境をなしている道路を東進して、南熊本駅通りを横断すると、熊本市農協会館の北側にである。これをさらに東進すると、右手に辛崎神社があり、左は隣保館である。この道は辛崎神社の当たりから東南に方向を変えて、二の井手を渡る。」(中略)「二の井手を渡った道は、昔の水田地帯の中を右折、左折して一の井手を渡り、白山小学校の校門に達する。」

この二の井手を渡るあたりまでは地図上ではっきりしているが、その先から、現在の地図を見てもよく分からない。



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そこで、新熊本市史別巻第1巻地図絵巻下に収録されていた、肥後国郡村図の九品寺村の地図のコピーをスキャナーで取り込み、縮尺と方向を調整して、googleマップに重ねてみた。重ねるときの目印は二の井手の流れを使ったので、わりと正確だろう。
hakusan_shougakkou.jpg

現在、「古閑商店」の当たりで道路が右に曲がっているが、かつてはそのまま直進していて、鳥谷医院の前の広い道に差し掛かった当たりで道が右に折れ、鳥谷医院の角で左折し、二の井手を渡っていた、「二の井手を渡った道は、昔の水田地帯の中を右折、左折して一の井手を渡り」というのはこういうことだろう。

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木山往還2

2010/11/25
薩摩街道の明八橋から先のルートは、「熊本の街道と峠-熊本の風土とこころ第二集-⑳」(岩本政教編著、熊本日日新聞情報文化センター)18頁の薩摩街道・その(一)によると,「唐人町筋から古川町,河原町を過ぎると,長六橋際の番所に出る。」とある。唐人町筋といえば、ここの通りのことだろう。


大きな地図で見る

しかし、ここでも唐人町筋から長六橋に至るには現在の電車通りを通るのか、その1本西側の通りを通るのか、2ルート考えられそうだ。

図書館でコピーしてきた明治26年発行の地図によると、電車通りの1本西の通り、光岸寺さんの前の通りの両側が河原町だと分かる。

furukawa-kawara.jpg

さらに、この地図で、御船口を見てみると、こうなっている。
mukaemachi.jpg

そうなると、御船口までの道筋は、国道3号線が通ったことで元の道が多少途切れたりしているようだが、こうういう感じだろうか。



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木山往還1

2010/11/02
「熊本の街道と峠-熊本の風土とこころ第二集-⑳」(岩本政教編著、熊本日日新聞情報文化センター)64頁「木山往還」によると,「御船口から分岐して東南の方向へ進んでゆく街道を、木山往還と呼んでいる。」という。いまどき木山往還なんて呼び方をする人間はいないだろうから、「呼んでいた」というべきか。

御船口というのは、今の熊本市迎町2丁目4番や熊本市琴平本町3番あたりのことをいうのだと思う。ここの角には地蔵堂が立っていて、お地蔵さんに直に「右みふね」「左こしのを」と朱書してある。地蔵堂の前にも、「右みふね、左きやま」と刻まれた道標がある。
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木山から熊本へのルートとしては電車通りか、最近は第2空港線を思い浮かべるから、迎町経由だなんていやに遠回りだなと思うけれど、その昔、白川に架かっていた橋は長六橋1本だけだったらしく、白川を渡るには迎町に向かうしかなかったようだ。

御船口というのは、迎町の御船側の出入口という意味だろうか。御船口から城下までは日向往還や薩摩街道との重複区間ということになるのだろう。

肥後国の街道の起点は、現在の新町1丁目の北緯32.804124度,東経130.6986863度あたりの札の辻とよばれる場所にあったらしい。したがって、木山往還の起点もここになる。

Fudanotsuji_Explanation.jpg

石柱のようなものも打ち込んである。
Genpyou.jpg

薩摩街道が迎町までどう通っていたかについて、「熊本の街道と峠-熊本の風土とこころ第二集-⑳」(岩本政教編著、熊本日日新聞情報文化センター)18頁の薩摩街道・その(一)によると,
「新町一丁目御門を起点として,南へ通ずる街道の第一幹線は川尻往還(薩摩街道)である。」
「この御門(注:新三丁目御門)を出て三丁目橋を渡ると唐人町筋に出る。」
「橋も明治8年に木橋から石の眼鏡橋に架けかえられてその名も明八橋と改められた。」
「唐人町筋から古川町,河原町を過ぎると,長六橋際の番所に出る。」
とある。

しかし、のっけから困ってしまった。地図をみると、1の札の辻から2の明八橋には何通りも行き方がある!


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図書館でコピーしてきた大正時代の市電開通前の地図を見ると,現在は,新町交差点から蔚山町方面へまっすぐ道路が伸びているが,かつては,北緯32.80152,東経130.697045のところでクランク状に折れ曲がっていた。市電の通りは市電を通すために拡幅し、拡幅により直線化されたものと推察される。その道路の形状ゆえ、現在の電車通りから1本東側の通りが街道筋ではなかったのかと想像したが、やはりそうだった。

kiyamaohkan01.jpg
によると、電車通りの1本東側の通りがかつての新一丁目で、往還通りとも呼ばれたとある。

というわけで、札の辻から明八橋までは、このルートで間違いなかろう。


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明八橋から先は、続く。
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