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木山往還1

2010/11/02
「熊本の街道と峠-熊本の風土とこころ第二集-⑳」(岩本政教編著、熊本日日新聞情報文化センター)64頁「木山往還」によると,「御船口から分岐して東南の方向へ進んでゆく街道を、木山往還と呼んでいる。」という。いまどき木山往還なんて呼び方をする人間はいないだろうから、「呼んでいた」というべきか。

御船口というのは、今の熊本市迎町2丁目4番や熊本市琴平本町3番あたりのことをいうのだと思う。ここの角には地蔵堂が立っていて、お地蔵さんに直に「右みふね」「左こしのを」と朱書してある。地蔵堂の前にも、「右みふね、左きやま」と刻まれた道標がある。
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木山から熊本へのルートとしては電車通りか、最近は第2空港線を思い浮かべるから、迎町経由だなんていやに遠回りだなと思うけれど、その昔、白川に架かっていた橋は長六橋1本だけだったらしく、白川を渡るには迎町に向かうしかなかったようだ。

御船口というのは、迎町の御船側の出入口という意味だろうか。御船口から城下までは日向往還や薩摩街道との重複区間ということになるのだろう。

肥後国の街道の起点は、現在の新町1丁目の北緯32.804124度,東経130.6986863度あたりの札の辻とよばれる場所にあったらしい。したがって、木山往還の起点もここになる。

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石柱のようなものも打ち込んである。
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薩摩街道が迎町までどう通っていたかについて、「熊本の街道と峠-熊本の風土とこころ第二集-⑳」(岩本政教編著、熊本日日新聞情報文化センター)18頁の薩摩街道・その(一)によると,
「新町一丁目御門を起点として,南へ通ずる街道の第一幹線は川尻往還(薩摩街道)である。」
「この御門(注:新三丁目御門)を出て三丁目橋を渡ると唐人町筋に出る。」
「橋も明治8年に木橋から石の眼鏡橋に架けかえられてその名も明八橋と改められた。」
「唐人町筋から古川町,河原町を過ぎると,長六橋際の番所に出る。」
とある。

しかし、のっけから困ってしまった。地図をみると、1の札の辻から2の明八橋には何通りも行き方がある!


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図書館でコピーしてきた大正時代の市電開通前の地図を見ると,現在は,新町交差点から蔚山町方面へまっすぐ道路が伸びているが,かつては,北緯32.80152,東経130.697045のところでクランク状に折れ曲がっていた。市電の通りは市電を通すために拡幅し、拡幅により直線化されたものと推察される。その道路の形状ゆえ、現在の電車通りから1本東側の通りが街道筋ではなかったのかと想像したが、やはりそうだった。

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によると、電車通りの1本東側の通りがかつての新一丁目で、往還通りとも呼ばれたとある。

というわけで、札の辻から明八橋までは、このルートで間違いなかろう。


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明八橋から先は、続く。
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